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終戦の日に

今日は大東亜戦争終戦から70年。70年も前と言えばそうだけど生まれたのが47年前。そう言う意味で言うとそのわずか23年前に戦争が終わったと言う事。そうもうと生まれた一寸前々まで恐ろしい大事件が起きていたと身近に感じてしまう。

今年は終戦70周年と言う事でマスコミなどでもいろいろと終戦が取り上げられている。

そしてここに来て日本側から見た大東亜戦争をはじめとした日露戦争以降の日本の負の部分、いわゆる軍主導の悪しき時代について語られるようになった。私自身も不思議に思っているのはそんなに長い事日本はいわゆる欧米に対して文化を封殺したりした期間が何十年も有ったのだろうか。たとえば英語の使用禁止、音楽聴衆禁止。外来語をすべて日本語に直すなどと言うことをしていたのか?結局それは戦火の激しくなってきた終戦前の2~3年位前の話。また数には数、強力な武器にはそれに対抗する武器と、良く言われている精神論のみでの戦闘なんて言う考え方は当時の日本人にもなかったようである。本当に終戦直前のころにそいう異常思想がはびこっただけのようであった。

抹殺された日本の本当の近代をこれから明らかにしていかなければこの国は将来も過去に目をつぶったままのおかしな国になってしまうとおもうっと。

そして本日正午に玉音放送を聞いてみようと思う。

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無責任な罪

今日5月17日は史上最大の住民投票といわれた大阪都構想の大阪市民住民投票があった。

即日開票で先程結果が出た「反対」だった。しかも市場まれに見る拮抗した末に決まった。投票率は66.83%昨今の選挙投票率を考えると大分高いものになった。こんかいの投票については色々と違和感を感じるところがある。

先ず、都構想賛成反対。投票も賛成と反対と書き込むものであった。実際の賛成反対の主張は現在の大阪府と大阪市の改革をすべきか否かになっていた。だから都構想に限らず都構想を含めた大阪市と大阪府の所謂二重行政の改革をするのに賛成反対を問えなかったのか?

今現在マスコミの速報にも大阪市存続決定と表現している社もある。確かに大阪市は特別区になるから市と言う名称が消える。この住民投票の後半戦、反対派が「大阪市が消える」をスローガンにして戦っていた。結局諸問題を可決しようと言う都構想の根本の意志が問われず変な郷土愛のようなもに訴え今の生活が維持できなくなるような意見を前面にしてキャンペーンを仕掛けてきた。おそらくこのことで年輩者や低所得層などで行政から補助を受けている人間がそれに乗ったような気がする。大阪市は福祉天国でこの手の補助金受給者が異常に多いとされている。実際支持層も民主や共産の各党を支持している人が反対に周っているようである。

結局この住民投票期間中の賛成派、反対派の主張を聞いていると賛成派は改革内容そのものであるので今の問題点を挙げて大阪都にすることでこうなると言う説明をちゃんとはしていたがそれだけであった。都と言うあいまいな行政名称で改革を訴えるばかりであった。稚拙な意見になるがいきなり「都」を言い出したのはよくわからなかった。別に「府」のままでもいいような気はする。改革をアピールするばかりにいきなり「大阪都」などというから先程は年輩者を批判するような言い方をしたがやはり長年すんでいる郷土がどうにかなってしまうと言う本質的でないところで反対する人を増やしてしまったような気がする。

反対派の事で言えばはっきり言って橋本市長批判と賛成派の意見を反論するばかりで思想が見えてこなかった。挙句の果てが「大阪市が消える」確かに大阪市と言う行政単位は消えるがそれは「大阪府」に引き継がれるだけのことであり今の大阪市がしている地域行政と広域行政を明確に分断して府が行うと言うことである。東京から東京市がなくなり東京府に継承され東京都になったがそれで東京と言う名前が消えただろうか・・・・単に反対運動をしただけだった。

結局今回の住民投票で都構想は消えた。橋本市長は政治家を辞めるという事だった。これでわたしとして意見だが折角進めてきた大阪に入っている改善の流れが消えないだろうかと言うことである。

ほんの10年前まで大阪府も市も莫大な借金を抱えているにもかかわらず昔からの既得権のしがらみでおかしなことになっていた。それが借金であり二重行政と言うことで現在までの歪みが出てきたのだと思う。それを打破したのは時代の流れもあったが大阪維新の会であったと思う。もちろん諸手を挙げて賛成ではないが「大阪はこういう処だ!」という一種停滞したムードに一石を投じ大きく流れを変えて来たと思う。それが何か今回の住民投票で大きくブレーキが掛かったように思えてならない。

また大阪市が既得権のしがらみに拘束されるのではと不安になる。

今回の結果は住民投票による市民の声、大阪維新の会躍進を支えたのも市民の声であることを考えると皮肉な結果になった。

また賛成派についても都構想ということばかりの主張で二重行政解消ということで説明の中にも広域と地域の行政を分けてそれぞれを府と市に集めると言うことだった。そこで府を都に市を特別区にする。だけど本当にそうだったのか広域と地域の行政をそれぞれ明確にして府と市に振り分けると言う事で何も「都と特別区」にする必要もなかったのでは。最終形がそれでもいいがあまりに一足飛びな表現をしすぎてたと思う。市民を味方につけてきた維新としてはちょっと違和感を持つところであった。

そして今回史上最大の住民投票といわれているがなんでも住民投票にする必要があるのであろうか?市民を代表する議員による議会が存在しているのにこうなっているのか。確かに議会では「都構想」は否決されているので住民投票もその結果のとおりと言えばそうであった。

そして途中ではあるが結果は午後11時時点で開票率は99・71%に達し、「反対」は70万3953票で、「賛成」の69万2801票を1万1152票。211万人居る有権者のうち141万人が投票。70万人が棄権。11,152表の差。この僅少差。まだ投票していない人間の意志はどうなのかまだ十分に結果が入れ替わる可能性のある数字。

客観的にももっと差が出ないと結果に納得できない。賛成反対の差と投票しなかった人間の数の差が結果を左右するものであるところに納得が行かない。そして折角既得権を打ち破る改革が此処まで推進されてきたのによくわからない結果で改革にブレーキが掛かったのが残念でならない。それはそれとしてもまだまだ結果が動くだけの余地のあるところで投票をしなかった70万人の人々の罪は大きいものがあると思う。

因みにわたしは期日前投票で賛成に票を投じていました。先にも述べましたが「賛成」と記入するやり方に一寸違和感を感じました。

選挙

 今日は任期満了で大阪府知事選投票日。大阪府が破綻するとかで大阪経済の建て直しが争点の一つだった。弁護士でタレントの人や教授等泡沫候補と呼ぶような人もいなくて、ある意味真剣さのある選挙戦だったと思う。しかし結果は弁護士でタレントの人が圧勝した模様。若さと知名度が、今流行の東国原旋風を期待させるのか、若いだけにクリーンなイメージがあるせいか人気があったようだった。やはり全国区のタレントさんだと行動のすべてがガラス張りのイメージでクリーンに見えるとか色々な理由が後押しをしたことと思う。
 変なスキャンダルや叩きでつぶれないようがんばってもらいたいと思った。

思ったとおり

 先日のコメントに記したとおりなのか長井さんのカメラは当局に没収されているらしい。
やはりいろいろと写っていたのだろうと詮索をしてしまう。
 
 話はぜんぜん変わるが相撲部屋でリンチ殺人と思われる事件が報じられている。昔子供のころ読んだ歴史の本に書かれていた特高警察の共産党狩りを彷彿させる物だった。全身あざに、やけど、歯がないとか、傷だらけでもののように扱われた体が死体となって家族の元へと・・・・・。仮に死んだほうに非があったと仮定しても性制裁やまして教育、稽古のレベルを超えている。しかもビール瓶や金属バットで殴る。そんなの人が死んで当たり前。部屋の人間全員殺人犯だと思う。遺族の無念さは表現できない。被害者の父親が会見しているがホントよくこらえてあれだけのことを告白してくれたと敬服する。相撲という職業を選んだばかりにこんな死に方をしてしまいかわいそうな限り。生前の被害者のことは知らないけど報じられている死に方をする必要な無かったと思う。昨晩、TV番組「世界の果てまで行ってQ」で日本とモンゴルの少年が相撲で勝負している企画をしていた。11歳だかそこらの子が自分が信じる相撲がどこまで通用するのかということでモンゴル相撲の少年と勝負し負け、結局昨日も30分以上の取り組みで結局負けてしまうが・・・。日本、モンゴルで6人の少年がひたむきに取り組み勝負に勝っても負けても流す涙は本当に感動した。それに引き換え時津風部屋は何を考えているのか、何が大相撲だ。名詞の前に「大」をつけて立派なやつはいたためしがない!親方だか師匠だか知らないけどいいおっさんが恥ずかしくないのかと聞きたくなる。しかし、その情けない彼らにもこの少年たちのようなひたむきで純粋な日が絶対にあったと思う。どこに置き忘れたのか・・・・   
 相撲に限った話では無い。もっと純粋にいろいろなことに打ち込める社会であって欲しいと思った。

仕事って?

 27日ヤンゴンでデモ取材中の日本人カメラマンが被弾し亡くなられた。当初発表では流れ弾による事故死のような報道だったが昨日のニュースだと至近距離から射撃され被弾の反動で体が飛ぶカメラマンの姿が映っていた。流れ弾であればある意味やむをえないところがあるのかもしれないが至近距離から銃撃されたのでは明らかに殺人事件の被害者になる。持っていたカメラを何らかの武器と見間違えられて撃たれてしまったのか・・・。路上に転がり苦しそうに手をもがく姿がいたたまれなかった。当然ご家族の方もあの映像はごらんになると思うが心痛察し余る。手にはカメラを握ったままだった。
 ふと木口小平という人物のエピソードを思い出した。木口さんは日清戦争時のラッパ手で戦闘中に被弾するものの負傷後もラッパを吹き続け絶命後もラッパを口から離していなかったというエピソードの持ち主である。この話は当然プロパガンダに使用され小学校の教科書にも取り上げられる程であった。
 今回のカメラマンの最後の映像を見ていて、仕事上で亡くなる方は手にしている仕事道具を最後まで手放さないでその仕事を続けようとするんだなあと思った。そう思うと亡くなられたカメラマンのカメラ(ビデオと言われている)には自分を撃った兵士の顔でも撮影されいるのではないかと思った。
 ご冥福を祈ります。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

尋常小学校修身書より

キグチコヘイハ テキノ タマニ
アタリマシタガ、 シンデモ ラッパヲ
クチカラ ハナシマセンデシタ