大学生生活#004
今日はスクーリングと言う対面授業最終日。スクーリングとか対面授業とか言うと普通は理解できない言葉と思う。通新制大学独特の表現だから。私自身も入学するまで知らなかった言葉。通信制は送られてくるテキストに付属するレポートを学校に送り評価してもらいその結果が合格、つまり勉強をしたと学校が判断すると試験を受ける事が出来る。そしてその試験に合格すると単位がもらえる。これを通常の学校に照らし合わせると、通常の授業は自分でテキストを見て学ぶという事になり、学力評価は学期末毎の試験で評価される部分が2ヶ月に1度試験日が定められている。この試験は全日制だと年間通して学期末ごとに試験が行われ大学であれば前期と後期の試験結果で学年末に最終評価になるのが通信制だと2ヶ月に1度の試験で全てが決まる。制度の違いがあるのでどちらが良いのかはなんとも言えない。そして通信制の場合そのテキストの自己勉強の他にスクーリングと言って対面授業を所定の時間数受けなければならない。つまり通学して多くの人がイメージする学校での授業を受ける、これが先生と対面して授業受けるから対面授業と呼ばれているのだと私は解釈している。
そして4月に入学以来初めての対面授業を先週日曜日、昨日の土曜日と本日日曜日に受講して来た。朝の9:30分から18:00までの8時間30分途中約1時間の昼休み。通常の大学は90分授業だから1日7日分の授業が3日間、全日制で言えば21回分の授業を一気に受ける事になる。大学の稼動月を考えるとほぼ1年分の授業の負荷を3日で行うという事になる。なるほどそいういう意味では全日制も通信制も変わらないという事になる。
今回は現代の経営学を受講。約250ページのテキストで産能大オリジナルテキストを使用している。そこに講師の先生の用意してくださった補足テキストがある。授業はそのサブノートと呼ばれる補足テキストを説明の資料として進められた。誤解の無いように補足するとサブノートはテキストを項目ごとに整理してあるものでテキストの別物と言う事ではない。先生からもスクーリング後の復習は先ずサブノートとテキストの照合を行う事。その後もう一度サブノートを読み返し不明点を教科書から探しその意味を理解する事をしなさいとアドバイスいただいた。授業とテキストをつなぐものと言う事になる。噂では別の講師の方ではこのサブノートは無くあくまでも今回授業を頂いた講師の先生の授業のためのツールと言う事になる。先生によって授業に自分にとっての良し悪しが出るのが大学授業の醍醐味だったことを思い出した。
そして昨日スクーリング2日目の終了後に親睦会があった。結構人見知りするほうなので参加の可否は少しだけ迷ったけどどうせみんなも同じだろうと思って参加させてもらった。先生と学生は受講生の約半分程度が参加したと言う話しだった。色々な人、年齢、職業、そしてこの大学での学歴などみんな違う。普通の大学で同じクラスだと共通事項が多いがプライベートでの共通事項がここまでばらばら、みんな人生のキャリアがあるから当然の事だと改めて思った。人の数だけ人生があるのだと当たり前の事を感じた。
そして肝心な本日の話し。予定通り授業はテキスト全てを終了し最終の学力テスト。このテストは授業の理解度を評価するもので教科書、ノートの類の閲覧は禁止。自分の脳みそだけが頼り。4つの言葉が挙げられていてその言葉の意味を具体的に解りやすく説明する事。回答は4問のうち2問を選択して回答すると、言うものだった。まあ書くのは書いたけど・・・・さすがに不合格にはならないとは思うけど後に繋がるような得点が稼げていないだろうから8月に受験する試験がまた苦るしいものになるのだろう・・・・。それでも久しぶりにこうした授業を受けて勉強したと言う事にちょっとした充実感を感じた。
今回の現代の経営学はグループを作り(3日とも違うメンバー)その中で役割を決めて(司会役を社長とか発表する役割の人を広報部長と呼ぶ)ディスカッションをするので非常にメンバーとも連帯意識が生まれやすい環境を演出してもらっているので楽しかった。最初はぎこちなく、そして取りとめも無く、3日目になってくるとそれなりにそれなりにまとまって来る。面白いものだった。3年前に消滅した会社で受けた経営力強化研修をおもいだした。そう言われて見ればあれは「産業能率協会」主催だったなあ~。
そして試験の問題のひとつに組織の成立要件についての説明を求めたものがあった。まさに今の状態だと初日は集団、3日目は組織(クラス)になっていたと。また続けて明日から勉強を続けようと。本日はおやすみなさい。
谷町6丁目駅付近にある大阪府社会福祉会館で授業。産能大の他、施工管理の講習会なんかもしていて20年ほど前はあっちの方の授業を受けていたなあと懐かしかった。水素水は昨日本日の授業で話題に上がっていたので買ってきて飲んだけど普通の水だった。