Archive for 2015年8月

検査入院

金曜日の夜から心斎橋の呼吸器クリニックで睡眠時無呼吸症候群の精密検査をした。

頭にセンサーとなるケーブルを取り付けられて一晩中ひたすら寝る。これが今回の検査。18:30に来院するように言われていけど18:00には到着。直ぐに受付をしてくれて院内の説明を受けて検査の準備。

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静かな病室でした。寝ごこちは良かった!

検査の準備と行っても食事は済ませてきているので後は院内のシャワー浴びて寝る準備をするだけ。19時にはセンサーを装着するのでそれまでに終わらせて呉との事だった。どうも私の他にもう一人いた様だけど病院側の配慮もあってか部屋も別なので鉢合わせする事もなかった。

シャワー浴びてトイレで用を済ませて部屋にいると19時過ぎに看護師さん3名が入ってきててきぱきとセンサーを装着された。大人数に囲まれていると変な気分になって来る。

装着後起きていても良いと言われたし自分でもテスト勉強でもしようかとテキストを持って来ていたけど結局横になってしまった。

そしてテレビを見ながら寝てしまうの待つことにした。

その前に自撮り。

08-28@19-18-39-578-2

それがこの写真。顔も異様にパンパンに腫上がっている。何か交通事故で大怪我をして絶対安静状態になっている。そんな感じ。妻にはとりあえず写メを送りそこでスマホの電源断。

この写真見てると線が凄く気になりそうだけど案外大丈夫だった。テープもかゆくなることなく違和感もなくて睡眠への支障は無かった。

テレビを付けながら横になっていたらうたた寝。看護師さんがやって来て電気消してくれた。それが20時過ぎ。

その後一気に睡眠して尿意をもようしておきた0時まで寝た。

尿意を催してトイレに行きたいのだけど看護師さん呼のを何故か躊躇した。結局は漏らす訳に行かないのでナースコール。

直ぐに看護師さんがやってきてセンサーを抜いてくれた。

用を済ますと何故か妙に落ち着いてしまった。水分を控えていたからこれ以上尿意を催す事もないだろうと思い安心したのだが・・・

今度は寝れなくなった。普段1日4時間から5時間程度の睡眠だからそう言う意味では寝て起きたのとは同じ状態。それでも疲れているから目をつぶっているほうが楽なのだけど寝付けない。長いこと寝つけないでいたらそのうち自分のいびきが聞こえてきた。それを聞いていたら段々と眠くなってきた。

翌朝6時に看護師さんがやってきて起床。シャワーを浴びてさっぱりして7時過ぎには退院。

久しぶりに歩く朝の心斎橋。朝の繁華街は本当に不思議な感じ。昔は金曜日の晩と行ったら夜通しのんで朝帰りなんて言うのは日常だっただけに懐かしい。

四つ橋線の四ツ橋駅が歩いて5分だが千日前線の難波まで歩くことにした。朝の空気を吸いながら気持ちのいい散歩だった。道頓堀の遊歩道も歩いて難波駅へ。

北欧(パン屋さん)があいていたので妻へのお土産と朝食をかねてパンを買って帰宅した。

結果が出るのが今度の金曜日。どんな事になるのか次へのステップに入った。

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検査入院

今日は会社を一足先に退社し。
睡眠時無呼吸症候群の精密検査を受けに心斎橋にある病院へ。
器具を装着して一晩睡眠。
慢性的に寝不足だから電車に揺られている今から眠くなって来た。
調べてもらってその後の治療がどんなものなのか?
人と話していながら寝そうになることがあるだけにすぐにでも何とかしたい。即効性のある治療はどうも無いらしい。
まあ、いまはこれからの検査がどうなるのかが楽しみ。

御朱印

このお盆より我が家のライフワークのひとつとして御朱印の収集を始めた。
本来御朱印とは写経してそれを納めた証として頂く様なもので収集などと言う罰当たりな言い方は謹まなければいけないのかも知れない。
ただ今では相場300円で頂く事が出来る。
それだけにお参りよりスタンプラリー見たいになっているようである。
私もその口だがいざお参りに行くと今までは感じなかった参拝の良さを感じることが出来た。
お参りしているときの静けさ、仏像を見ているときの安らぎ、今まで感じたことの無い安らぎ。
たまたま始めた御朱印収集だが良い趣味と出会えたと思った。

終戦の日に

今日は大東亜戦争終戦から70年。70年も前と言えばそうだけど生まれたのが47年前。そう言う意味で言うとそのわずか23年前に戦争が終わったと言う事。そうもうと生まれた一寸前々まで恐ろしい大事件が起きていたと身近に感じてしまう。

今年は終戦70周年と言う事でマスコミなどでもいろいろと終戦が取り上げられている。

そしてここに来て日本側から見た大東亜戦争をはじめとした日露戦争以降の日本の負の部分、いわゆる軍主導の悪しき時代について語られるようになった。私自身も不思議に思っているのはそんなに長い事日本はいわゆる欧米に対して文化を封殺したりした期間が何十年も有ったのだろうか。たとえば英語の使用禁止、音楽聴衆禁止。外来語をすべて日本語に直すなどと言うことをしていたのか?結局それは戦火の激しくなってきた終戦前の2~3年位前の話。また数には数、強力な武器にはそれに対抗する武器と、良く言われている精神論のみでの戦闘なんて言う考え方は当時の日本人にもなかったようである。本当に終戦直前のころにそいう異常思想がはびこっただけのようであった。

抹殺された日本の本当の近代をこれから明らかにしていかなければこの国は将来も過去に目をつぶったままのおかしな国になってしまうとおもうっと。

そして本日正午に玉音放送を聞いてみようと思う。

夏休みの前に

明日から夏休み。今年は土日入れて5日間。

先日の睡眠時無呼吸症候群で中等症と簡易検査で診断されて専門医への紹介状を書いてもらった。

今日は紹介状を持って四ツ橋にある専門医に行ってきた。問診と次回行う1泊2日の精密検査の予約と説明をしてもらった。矢継ぎ早に説明されて質問は?と、聞かれて戸惑った。

これからどうなることやら。