Archive for 2011年9月

濃厚な連休

 今年のシルバーウイークは敬老の日がらみで3連休、3日の平日があって春分の日がらみで3連休。私は敬老の日がらみで3連休してそのあと2日の有給休暇を取得して5連休と1日出社して3連休のパターンを設定した。
 連休はもともと母と弟家族とで父の喜寿を祝うということで、3連休で行えば私も大阪から帰省しやすいだろうということで、弟の都合を考慮して設定したものだった。帰省で折角東京まで行くのだからということで帰りに上高地に一泊して帰省することにした。
 世の中皮肉なものでそうとなると急に仕事の予定が建て込んできた。なにしろ来週は1日しか仕事をしないものだからちょっとした手違いがタイミングを外してしまう。それを防ぐため金曜日は22時まで残業となってしまった。仕事について言えばそうであった。話が木曜日に戻るが、帰宅すると妻が私の母親から連絡があったと。「おじさんが亡くなって、日曜日にお通夜で月曜日に告別式がある」と。友引があり、友引後の先負けは斎場の段取りがつかなかった模様。父の喜寿と重なってしった。そこで母が急遽夜の宴席を昼食会に変更。まあ葬儀と重なれば当然の処置。それが親族の問題。
 そして台風が2つも同時に日本接近。天気が悪化。私たちが上高地に泊まるときは雨。景色をあきらめるしかない見通し。実際どうなるか。
 話は昨日に戻り、帰宅後1時に出発。出発と同時に大雨に見舞われてしまった。もう開き直ってのんびりと高速道路を東へ。明るくなっても降ったりやんだりの繰り返し。途中で仮眠を3回もとったから東京についたのは正午。昼に帰って親に飯を食わせろもないだろうということで、昭和記念公園で時間つぶし。立川は晴れていたから公園では汗だくになりながらのコスモス撮影。ただ時期が早くて丘の方はまだまだ花は咲いていなかった。
そうこうしていたら携帯に会社上司からの着信があるのに気付いた。珍しいなあと思い折り返し電話したらその人の父親が他界したと。関連はないけど私的には叔父といい上司の父といい重なるものだと思った。会社も休みの最中、ちょっとした会社への連絡にも手間がかかりその人も苦労していた。その人も連休のバカンスを楽しむために出かけていて、出先での訃報との事だった。
 えらく濃厚なシルバーウイークになった。今日は先ほど妻と父母と実家近所のインド料理屋で夕食を食べた。明日は甥の誕生日、実家近所のツタヤで図鑑をプレゼントに買ってあげた。喜んでくれるかまだ早いか、小さい時に見た図鑑って案外忘れられないものであったから自分と重ねてしまって選んだ。それもこれもすべて明日次第。

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911

 先週は台風12号が四国高知から岡山と日本直撃、広範囲な地域に、特に紀伊半島南部はものすごい被害を受けた。
火曜日以降は台風一過で晴天。大きな被害の後にしては皮肉な天気だと思った。先週は月曜日、木曜日と飲みに行った。久しぶりに飲み会が立て続いた。
 今週末は昨日ケーブルテレビの点検があるということだったが、実際には契約コースの変更を勧めに来たようで、点検らしい点検なんかしていなかった。全く馬鹿らしい話だと・・・・作業員と称するセールスマンの来訪をずっと待っていた。ホント時間の無駄だった。夕方から妻とドライブに出掛けた。別に当ても無くで、昔私が住んでいた四条畷のトンカツ屋で夕食を食べて帰宅。
 そして本日はブラックバスを食べに滋賀県立琵琶湖博物館にまで行ってきた。おいしいと言う話は聞いていたが確かに美味しい白身の魚だった。まだまだ調理に手間が掛かるのか、一般的ではないけど、普通に白身の天ぷらとして店のメニューにあったら食べる。

 ところで、今日は2001年9月11日から10年。いわゆる911NY同時多発テロから10年。もう10年も経ったんだ!と、驚いた。その1ヵ月後に私は新婚旅行でカナダ横断。そういう意味でこの10年色々とあったなあ~。そう言っても被害に会った人やその後の様々な悲劇に巻き込まれた人にしたらまだまだ昨日の事だと思う。実際あの時、妻(当時は結婚前)からメールでNYのWTCに飛行機が突っ込んだと会社帰りの北新地駅で知らされた。小型機が何かの過ちで事故を起したのかと思ってテレビをつけたら、旅客機が2機も突っ込んだと。それも事故でなく事件。シャワーを浴びて再びテレビを見たら、確かビルが崩れた映像を見たような記憶がある。アメリカではいわゆる「119」が「911」この日も9月11日で911。本当に緊急事態が起きた。
 その後アフガニスタン侵攻やイラク戦争と中東にいる犯罪者や独裁者を取り締まるためにアメリカが立ち上がった。2006年にアラスカに行ったときアンカレッジやシアトルで見かけた軍服を着た兵士を沢山見た。ものすごい精悍と言うよりあどけない感じの兵士が多かったのはすごく意外な感じだった。でも考えたら、多くの兵士は20代前半だからそうだろうと思う。3年まえに他界した伯父も兵隊に行っていたのは20代前半だったことを思った。そんなに若い人間が国のためとは言え直接見たことも無い国で全く知らない人と、悪ければ殺し合いに巻き込まれてしまうのを切なく思った。知覧の特攻会館で見た多くの隊員の顔写真や遺書を思い出す。
 この10年で日本は確かに戦争が無かったという意味では平和だった。しかし、その間、自衛隊海外派遣や昨年からは政治空白の虚を突くがごとく中国、韓国、ロシアとの国境、領土問題が顕在化してきた。尖閣諸島では日本の取り締まり船が攻撃を受け逮捕した容疑者がよく解からないけど釈放と言う、情け無い話がでた。そして、先代総理の菅直人君の北朝鮮との太い繫がり。仮想敵国と言ってもいいような国と太いつながりがある人間が首相になってしまい、それを辞職に追い込めなかった日本国。ほんとうにこんなことで大丈夫なのだろうか?
 私の周りにも無責任な人間が多くいる。まじめな人間も多くいるが、おかしな連中が変な力を持っていてまじめな人間がやる気をなくしている図式も良く見る。911からの展開にしてはすこし話が変わってしまったけど、もう一度自分にとっての危機管理とかリスクとか考えようと思った。