Archive for 2008年6月

お葬式

 今日はお葬式に行って来た。昨晩はお通夜。
誰のかといえば会社の人。立場上は上司になるのか?この人Mさんとは平成5年ごろからの付き合いだからもう15年程になる。
その間部下になったことも有るけど、どちらかと言えば先輩と言うような存在だった。
なかなか頭の切れる人で発想も独特でいわゆる「仕事のデキル」部類の人だが、人を使うのは上手ではなかった。人の上に立てるようなタイプではなかった。
その人は数年前に以前所属していた部署から現場のほうに転属、その後私も現場に転属になったから上下関係はそこまでだった。
昨年秋に組織の大きな改変があってその人とは同じ部署になった。まあ私もよく知った人が上席に来たので安心していたが・・・・
以前のイメージからすっかりというか以前から言われていた悪い部分が目立つようになっていた。私は、変貌に理由があるのは理解できていたが余りの変貌ぶりに驚いたというよりあきれてしまった。かなりドン引きしてしまった。
仕事も滑りっぱなしでかなり浮いた存在にはなっていた。他の部門の人からもあまり知らない人は「なんだよ!」とか「最近変わったな~」と。以前から知る人は「悪いところが目立つなあ~。」と本人に叱咤激励をする人もこういう人たちが昨日今日と「こうなるなら、言わなければよかったと」口々に言っていた。私は死ぬこと前提での付き合いなんかしていなかったから心の底でそう思うところもあったけど今後も絶対に後悔はしない。そんな後悔をしたらその人にただ文句を言っていただけに成ってしまう。
 
ここのところ私も忙しく社内外を行ったりきたりで人事ではなかったからその人のことを全く気にしていなかった。
今週の月曜にMさんはかなり重要な会議を無断欠勤に近い形で欠席。周りからは大顰蹙の嵐わたしも後で聞いて「何やっているんだよ!」と思った。私はその日は午後から客先と打ち合わせで昼過ぎに出かけたため人を気にする余裕なんか全く無かった。
次の日火曜日は出社と当時に他の部門の人たちと打ち合わせ。結局自分の部署に顔を出せず仕舞い。私はその日は昼前に現場に出かけて会議。しかもその会議私らが主催で客先ばかりか関係するほかの会社も出席、Fさんと言う人と主席するのだけど二人して作成資料が間に合わず遅刻寸前。バタバタしながら会社を出た。会議終了後客先と打ち合わせをしようとしたけど結局出来なかった。客先から帰るときに部長に電話を入れたら会議中。Mさんも同席しているだろうからと思いその日は会話せず直接帰宅。
水曜日、この日は前日に客先と打ち合わせが出来なかったから、午後から急遽客先と打ち合わせで現場へ。出かける前に出張中の部長に電話。話が終わると部長がMさんに替わって欲しいと。Mさんに電話転送。電話には本人でなく女の子が出た。
「Mさんは?」
「水曜と木曜と休むそうです。」と返事。
なんか変な休み方だなあ~。休みと言うことを部長に報告、電話を切り他の人に「とうとうMさん切れたよ・・・週中にこんな休み方するか?」
水曜日は夕方帰社。会社に戻り久しぶりに自分の部署に戻りMさんの机の上をみるとかなり散らかっていた。なんか山積みになった書類の山がなんか腹立たしかった。
木曜日朝一番で出張中の部長に電話。
最後に部長から「M君もこれから病気がどうなるかわからないから・・・・」
変な事を言うな~と、電話を切った。
木曜は午後から天満の方の役所に書類を提出に外出。夜帰宅前に私は何故かMさんの机の上の書類を眺めていた。ふとわれに返ったとき、不思議と本人が死んでしまっているような無機質な感じがした。昨日の夜も同じ机を眺めているのになんか変だなーと思った。
金曜日に出張しているはずの部長が会社にいた。「変だなー?」と思っていたら
「Mさん死亡」の発表。
その前の日の不思議な感覚があったせいか驚かなかったむしろ「やっぱり、そうか」
何で死んだんだろう?ポックリ病か自殺。不思議と事故とは思わなかった。
昨日金曜日は仕事にならなかったがMさんがやりかけていた仕事を少し引き継いだ。Mさんが死んだとも知らず言いたいことを言っている相手もいたが・・・・・
午後に女性社員等から情報が入り始めた、結局は自殺だった。しかも車で排ガスを車に引き込んでのもので目張りとかもしっかりしていたらしい。
会社発表では25日水曜日死亡。正に変な休み方をした初日のことだった。
休みの連絡はずっと本人からと思っていたがどうも家族からのようだった。その後の私独自入手の情報をつなげると24日の夜から25日未明で事におよび、恐らく救出されるも25日昼過ぎから夕方に絶命。26日には警察が事情聴取に会社に来たらしい。26日午前中には知っている人は知っていたようである。
そして昨日のお通夜。本日の葬儀。なんか天井辺りから本人が式の様子を黙ってみているような気がして成らなかった。
お別れと言うことで本人とまず昨晩対面したが紫色になった顔と口元のあざが気になった。苦しそうな顔だった。今日も出棺前に参列者一同お別れと言うことで花を納棺。
「これで本当にお別れですね。」と顔を見たら半開きの口元、やっぱり苦しそうな、何かを言いたげな表情だった。しかしまるで蝋人形のようであった。
出棺のときお手伝いと言うことで棺を担がせていただいたがやっぱり重たかった。
人の命の重さであったのだろうけど・・・死んでも人はなお重いものなんだと思った。
 
 
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久しぶりの骨休め?

昨日は廃線ウオークをした。大阪近郊の福知山線の道場から生瀬間が昭和61年に現在の新線になりそれまで使用していた武庫川沿いの旧線が廃線になりその後特に管理者がいるわけでもなく口コミでハイキングコースになったよう。実際には宝塚市辺りが手を加えているようだけど。JRは廃線跡は危険、事故があっても責任持てないと看板を出している。雨上がりに行ったためトンネルや切通しに霞がかかり幻想的な雰囲気が出ている場所もあった。沿線の武庫川渓谷は結構な迫力でさすがにこの景色は天気がいいほうがいい写真が撮れたと思う。それでも大阪近郊にこれだけの景色があるのには驚いた。約2時間の行程、おんなじ様な景色が続くけどところ何処に残る鉄道の名残や武庫川渓谷の眺めがウオーキングに変化を与えてくれる。普通の山歩きと違い何か不思議な魅力があった。
 
今日は結局1日家にいた。昨晩リビングで寝込んでしまったときに痛めたのか背中が痛くなっていた。朝起きたら一層痛くなっていた。今日は野球があったのでしんどいなあと思っていた。雨も降っているし試合中止かどうかが気になった。結局10時過ぎに試合中止の連絡。で、結局今日は一日ゆっくりすることにした。結局旅行ブログを書き上げたりしたけど気がつけは今の時間。日付が変わっている!
なんか骨休めと言うよりぐうたらした1日だった。

地震

 先日中国で大きな地震があったばかりだけど今度は日本の東北地方で大地震。震度6強 岩手・宮城内陸地震と命名された。
昨日午前中はインターネットを見ていた。偶然ニュースで大地震の一報。最初東北地方とは中国の東北地方かと思った。よくよく記事を読んだら日本の話。中越地震がまだ記憶に新しいとこで山間部での大地震。心配したとおり崖崩れによる集落の孤立、生き埋めが明らかになり報道され始めた。日本全国どこにいても大地震の危機に瀕しているらしいだけに対岸の火事には思えない。
 個人でどんな対策が出来るのかといえばたいしたことが出来ないことを改めて思う。あるいみ諦めるしかないのかなぁと思った。
 
 今日も琵琶湖でヨットに乗艇してレースに参加。最初は高い波の上をたたきながら爆走したかと思うと風がぴったりやんで1ノット以下になることもしばしば。結果は4位。あと少しで入賞できたんだなーと思った。

大事件

 今日は休日出勤。のんびり仕事をして、遅めのランチ。料理が出てくるのを待ちながら携帯電話でニュースを見ていた。
「秋葉原で白昼、通り魔!」みたいな見出し。読んだら歩行者天国にトラックで突っ込んで人を3人轢いて警察官を含む4人を刺し重傷を負わせたと・・・・
 先ほど帰宅して食事をしながらニュースを見ていたけど事件はさらにエスカレート結局7名も死亡、10数名が怪我らしい。わざわざ裾野市からレンタカーを借りて東京までやってきて見ず知らずの人を無差別殺人。何でこんなやつが無事に事故も起こさず静岡からやってきたのか・・・・・。日曜日の昼下がりの一番平和なときに、いくら秋葉原とはいえ歩行者天国で凶行をするとは、本当に驚きが隠せない。最初は今はやりの「オタク」がゲームと現実を倒錯して事件でも起こしたのかと思ったがそうではないらしい。これだけの人を殺めて犯行時間は取り押さえられるまで数分だったらしい。数分の短時間、元自衛隊員かなんかの犯行かと思ったがそうでは無いらしい。素人がここまでの凶行を起すのだと怖くなった。
2001年6月8日は大阪教育大学池田小学校で宅間守(たくま まもる)が児童8名(1年生1名、2年生7名)を殺害した事件と同じ日と言うのが皮肉だと思った。
日本の場合銃などの武器類の規制は厳しい。しかし人間は車とか便利な道具を凶器にしてしまうから始末に悪い。
被害にあわれた方のご冥福と、怪我された方の回復を祈ります。
こういう通り魔と言うのは何かの規制をしたら撲滅できる犯罪で無く、繰り返し起こるところにこの手の犯罪を防ぐ難しさがあると思う。

梅雨

最近時間の経つが早く感じる。今年はもう入梅をしたらしい。気が付けば入梅かぁ~と思っていた。よくよく聞けば相当に早い入梅らしい。
適度に雨が多いのはいいこと。ただ天気が悪いのは気分が乗らないから嫌だなあと思う今日このゴロ。