帰宅して
今週はずっと出張で出かけていた。そして本日帰宅。現場担当者だった頃は長期の出張も当たり前だが今の仕事では珍しい話。
今日は妻の誕生日だった。考えてみれば3月の末に近いような誕生日では幼稚園や小学校低学年の頃苦労したろうなあと思った。
我が家では妻の誕生日と言う大行事の日だけど、平成7年3月20日にあった地下鉄サリン事件という大きな事件があった日でもある。
あの日の朝のことは忘れないねえ。と言うのは通常だと地下鉄を利用(被害にあった線区ではない)していたがあの日は気分転換のために違う通勤ルートで歩いていた。そうすると清洲橋通りを南方向に救急車やパトカーがサイレンを鳴らして疾走していった。しばらくすると消防車。「なんか大きい事故があったのかなあ?」会社に着く直前に当時の営団地下鉄の緊急車輌が赤灯とサイレンを鳴らして疾走していった。「?地下鉄の脱線事故か何か?」
会社に出たら半分くらいの人が来ていなかった。
「爆弾が撥ねた」とか「車両火災」なんて言葉が聞こえてきたが、その冬にあった阪神大震災の時のように不確かな情報が乱れ飛んでいた。当時会社の喫煙室にTVがあったので誰とも無く喫煙室に集合してニュースを見ていたら地下鉄で事件があって大騒ぎ。道路が封鎖されて消防車や救急車が大終結して救護テントが張られているシーンと、騒然とする現地の様子が放送されていた。この時点でも何かが爆発したようなはなしだったと思う。ただ被害にあったのが日比谷線だったこともありそれを使っている人が会社にも多くいたのでみんな安否を気遣った。
結局被害者はいなかった。
但し丁度その頃会社の事務所が日本橋から上野に移転していたから乗る電車がみんな数本早まり被害者がいなかったけど日本橋のころだと被害車両に乗り合わせていた人が確実にいた。私も被害電車に乗ることは無かったが被害にあった駅にはいた可能性があった。
結局その後あの「オーム」が犯人と断定され大規模な摘発に至っているのだけど、最初「オーム」の犯行と聞いて信じられなかった。象さんの被り物をした変な連中と思っていたがまさかここまで天下国家を揺さぶるだけのテロ集団になっているとは思わなかった。
事件から13年。犯人たちには次々と極刑が下されているようだが被害にあった人たちはまだまだ事件の傷跡が癒えていないと聞く。もちろん司法や行政上の決着をつけるのは大事なことだけど個人が背負った事件の傷跡は絶対に解決することは無いのだろうなあと思う。