早いものでもう12月も中旬。それとは関係なしに風邪をひいてここ1週間咳に悩まされていた。
土曜日は昼間会社、休日出勤。夜は妻とルミナリエに行って来た。今回で3度目。毎回人出が多くなっているような・・・いつも土曜に行くからこういう感覚なんだろうけど。元町の駅を降りるとすでに誘導が始まっていて大きく西に向かうようになっている商店街を抜けて大丸前でを折り返して市役所方面に流れてまたまた大丸方面に流れて南に向かい最後に東を向いて会場へ。この間約1時間程度。それでも誘導がうまいのかそんなに苦にはならなかった。
 電飾が見えるとみんなそれを正面で撮影しようとデジカメや携帯電話を手にみんな道路の真ん中へ。それでも会場に入ると幻想的な電飾中を結構整然と流れていた。われわれも邪魔にならない場所を探しては撮影。たまにオクサンと離れてしまう場面もあったが・・・・。妻はなにやらいろいろな人に「写真撮ってください!」って頼まれるらしく写真を撮ってあげている姿を何度か見かけた。私はちょっとひがみっぽく
「芸術家のオーラをかもし出しているから俺のところには誰も来ないなあ~!」と妻に言ったがあまり相手にしてもらえなかった。
光のトンネルを抜けるとメイン会場へ。ここも人で一杯だけどそんなに苦にはならなかった。
ルミナリエ存続の100円基金にもちゃんと入れてきた。やはり震災の犠牲者鎮魂はいつまでも続けてもらいたいという思いがあるから。確かに私のように被災をしたわけでもないのによそから来る人が多く観光化してしまうのは本来の趣旨からは外れるのかもしれない。精霊流しをイメージして始めたならそういうこととは思うがでも被災者の鎮魂を常に掲げ一人でも多くのよそから来た人に震災のことを忘れないでもらい平和の尊さを感じる機会と場所を提供し続けてもらいたいと思った。
 私は震災の年の7月に大阪に転勤してきたから震災のことは聞くだけだった。じつは私の父親と弟は震災の時に災害救助で神戸に来ていた。親父は「まさか終戦直後の東京の景色をまたこの年で見るとは思わなかった・・・」といってその年の冬に定年退職。「まったくひどい状況で暴動寸前だったよ」と言ったのは弟。社会人3年生だけど新しい職場には前の年の秋に配属されていた。我が家の震災は仕事をそれで終えた人間とそこかがスタートになっている人間が偶然存在。私は数年前に神戸を舞台に仕事をした。まあ、救助から復旧まで親子でかかわれたちょっとした思い出が我が家にはある。
 何にしても平和を祈念した土曜日であった。
そして日曜日はヨットレースの日であったが自分では認めたくないが朝起きたら体中だるく熱がある。やむを得ずヨットドタキャン。なんてやつだと自己嫌悪。それでも寝るのが薬なのか夕方にはすっかり復帰そして今に至る。しかし明日も出張。茨城の取手へ。ではおやすみなさい。
ルミナリエの旅行記はここを見てください。http://4travel.jp/traveler/buucyan/
 
広告