気がつけば前回の投稿より1週間たっていた。日ごろの生活は特に大きな事件は無かったが世間では残酷な事件があった。
 八尾駅前の歩道橋で男が見知らぬこどもをいきなり抱え上げて歩道橋の上から投げ落とすという恐ろしい事件があった。
こどもは一緒にいたおばあちゃんの数メートル前を駆けていたということで、よくあるパターンの光景。別にこどもが放ったらかしになっていたわけではない。
犯人は福祉施設に通っている人らしいが、子供相手の事件を過去にも起こしているいわゆる前科者。
 確かに犯人憎しでおかしな奴が犯行を起こしたことになっているが、実際の話この犯人の罪を問えるのだろうか?
犯人は一応社会に適合しているという事で前科がついている(犯罪の罪を償う責任能力がある=社会生活が普通に送れる)と、言うことと思うけど、本当にこの犯人そうなのだろうか?その証拠にいわゆる普通の会社に勤めていないでこのときも福祉作業所の仕事をしていたとの事。
 被害者側の立場になれば当然犯人がどういう状況、素性の者でも憎いし、何が何でも被害以上の制裁を加えたいところで、私もそれを支持する。しかし一歩他人の目から見ると、今回のこの事件施設に通う人間が個人的に起こした事件ではなく、そういう人に対する福祉行政のシステムとしての弱さが出ていると思った。
 昔私の実弟が今の仕事に就く前、非常勤で福祉作業所の仕事をしていることがあった。最初は奇麗に言えば戸惑った、平たいいいからすればわけがわからない連中だと思った、と、言っていた。しかし数週間すると慣れたと・・・・。そういう人たちにはパターンがあるらしくそのパターンさえつかむと比較的普通の人間より変な思惑が無い分、面倒は見やすいと。しかし、10人いたら10人違うパターンがあるのでそれを1人で複数相手にしないといけないのが大変。それと自分のペースやパターンが崩れるといきなり暴れだす人もいるらしい。職員も複数人居るが1対1にはならないからどうしても1日に1人何かしらの大小のトラブルは存在するらしい。こうした弟の話を思い出した。このことからすると犯人が本当に福祉施設に通うような人であるとして、過去に起こした事件の刑事責任が本当に問えたのだろうか?事件後の対応、結局は事件前と同じで何も変わることなく犯行が繰り返されたのだろうと思う。
 その後のニュースを見ても、犯人の粗暴なところが報道されるばかりで本質の部分に何か報道のメスが入っていないと思う。周辺の人たちは一生懸命応援したが本人が粗暴で手が浸かられなかった。事実はその通りで、関係者も苦労をしたのも事実だと思う。しかし、福祉の現場の人ではなく、行政の側がもっとこういう人の社会適応に対して力を割くべきではないかと思う。なんか、司法、行政全てが弱者(本人や現場)に責任を押し付けて知らない顔をしているような気がした。報道にしても犯人の粗暴性を強調する事で事件の悲惨さを強調、ドラマ化しているような気がする。
 重い腰の上がらない行政を動かすためにも、報道と言う立場であればもっと行政や司法の問題に筆を割いてもらいたいと思う。
 
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