Archive for 2007年1月

出張か?観光か?鹿児島へ

 今週の水、木は鹿児島に出張した。初めての鹿児島行き。わくわくしながらカメラと三脚を持って出動した。
 観光をするために午後からの仕事だというのに朝一番の飛行機で出発。まず市街観光に繰り出さしたが地図を持たずに行ったため狙いが定まらず漂流・・・・
歩いているうちに桜島行きフェリーの桟橋についた。案内を見ると150円15分10分おきで桜島に行ける。そのまま乗船桜島へ。
 桜島では足が無いから桟橋付近のビジターセンターと溶岩公園で撮影展開。ガスがかかっていたから桜島あまりハッキリしなかったが青い空と桜島の迫力は十分感じられた。1時間ほどして市街に帰り天文館(繁華街)で鹿児島ラーメン。噂どおり見た目よりあっさりしていて美味しかった。付け合せの大根の漬物も美味しかった。
 食事後仕事は無事終わり夜は夜で市内の撮影に出たが結局は地図を持たない悲劇。市電を反対方向に乗ってしまったりして時間だけがむなしく過ぎ市役所前の撮影をしただけになってしまった。
 
 つぎの木曜日は朝一番で仕事を終わらせて10時には自由の身に。指宿方面に繰り出す事にした。結局は知覧の「特攻平和会館」に行った。ココはいわずと知れた太平洋戦争末期の日本が展開した飛行機による自爆攻撃をした陸軍航空隊の最前線の基地があったところで、今ではそこに平和記念館がある。鹿児島市街からバスで1時間半。山の中に知覧という街の中心街があった。もっと鹿児島市の延長上に存在する町かと思ったが海から山を上がった中にひっそりとした感じで街があった。
 中に入ると先ず目に付くのは遺影の写真。一人一人の写真が並んでいる。組織的に攻撃をしたから全員の氏名が判明している。ただしその最後を知る人は数少ない。遺影と遺書、遺品が展示されている。遺書の中には厳しい検閲をくぐった本音をもらしたもの等がありこれが隊員の本音なんだろうなあと思うものがあった。自分がその立場になった時、誰宛にどういう遺書を書くのか考えさせられた。おそらく「米英撃滅」とか「元気に行ってきますとか」といったものを親にでも当てるのだろうなあと思った。隊員の殆どが20代前半の独身と言う目で見てのことだが・・・。おそらく本当の気持ちを書くことはできないと思った。それと隊員は出撃前日休暇をもらっている。そこで逃げ出した人が居ないという事実が凄いと思った。もちろん逃げたりしたら本人はもとより親兄弟に物凄い制裁が加えられるのは必至の事。戦争一本になった世間の怖さを垣間見たような気がした。
 建物の屋外に三角兵舎と呼ばれる隊員が寝泊りした兵舎が復元されていたが馬小屋みたいなところ。後数日で死ぬのにこんな窓も無い馬小屋見たいたなところで生活するのはあまりにもかわいそうだと思った。展示してあった飛行服や手袋、帽子、どれをとっても貧弱でいまユニクロ辺りで売っている服のほうがよっぽと暖かいだろうと思った。今の時代の日本を贅沢に生きている事のありがたさを心から感じた。かなり遠いところだが是非多くの人に訪れて貰いたいところだと思った。
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思い出

 不二家が不祥事を起こした。賞味期限切れの材料を使ったり、異物の混入、果ては雪印の二の舞いになると組織ぐるみの隠蔽。
幼い頃からペコちゃんをみながら育った私にしてみると本当にだまされたと言う気分がある。ペコちゃんの舌を出した表情が「あっかんベー」をしているように見えてくる。でも見方が変わるというのは恐ろしいねえ。例えばケンタッキーが不祥事を起こしたらカーネルおじさんが強欲な経営者に見えて来るんだろうねえ。それこそ道頓堀に投げ込んでしまいそう。さすがにペコちゃんは子供のキャラだから手荒なまねはされないと思うけど・・・・。
 子供の頃お菓子といえば、街に入り口にペコちゃんを飾ったお菓子屋さんと言うものがありそこを入っておやつを買うのが楽しみだった。しかしそれが変なオッサンの変な会社経営のおかげでだまされたいたという気になってしまった。正直な話、ペコちゃんの思い出、つまり幼い頃の思い出をこれ以上汚して欲しくないからこのままペコちゃん共々不二家さんも封印したいですね。
 昨日、スーパーに行ったら不二家製品が消えていた。

気がつけは・・・・

 気がつけば前回の投稿より1週間たっていた。日ごろの生活は特に大きな事件は無かったが世間では残酷な事件があった。
 八尾駅前の歩道橋で男が見知らぬこどもをいきなり抱え上げて歩道橋の上から投げ落とすという恐ろしい事件があった。
こどもは一緒にいたおばあちゃんの数メートル前を駆けていたということで、よくあるパターンの光景。別にこどもが放ったらかしになっていたわけではない。
犯人は福祉施設に通っている人らしいが、子供相手の事件を過去にも起こしているいわゆる前科者。
 確かに犯人憎しでおかしな奴が犯行を起こしたことになっているが、実際の話この犯人の罪を問えるのだろうか?
犯人は一応社会に適合しているという事で前科がついている(犯罪の罪を償う責任能力がある=社会生活が普通に送れる)と、言うことと思うけど、本当にこの犯人そうなのだろうか?その証拠にいわゆる普通の会社に勤めていないでこのときも福祉作業所の仕事をしていたとの事。
 被害者側の立場になれば当然犯人がどういう状況、素性の者でも憎いし、何が何でも被害以上の制裁を加えたいところで、私もそれを支持する。しかし一歩他人の目から見ると、今回のこの事件施設に通う人間が個人的に起こした事件ではなく、そういう人に対する福祉行政のシステムとしての弱さが出ていると思った。
 昔私の実弟が今の仕事に就く前、非常勤で福祉作業所の仕事をしていることがあった。最初は奇麗に言えば戸惑った、平たいいいからすればわけがわからない連中だと思った、と、言っていた。しかし数週間すると慣れたと・・・・。そういう人たちにはパターンがあるらしくそのパターンさえつかむと比較的普通の人間より変な思惑が無い分、面倒は見やすいと。しかし、10人いたら10人違うパターンがあるのでそれを1人で複数相手にしないといけないのが大変。それと自分のペースやパターンが崩れるといきなり暴れだす人もいるらしい。職員も複数人居るが1対1にはならないからどうしても1日に1人何かしらの大小のトラブルは存在するらしい。こうした弟の話を思い出した。このことからすると犯人が本当に福祉施設に通うような人であるとして、過去に起こした事件の刑事責任が本当に問えたのだろうか?事件後の対応、結局は事件前と同じで何も変わることなく犯行が繰り返されたのだろうと思う。
 その後のニュースを見ても、犯人の粗暴なところが報道されるばかりで本質の部分に何か報道のメスが入っていないと思う。周辺の人たちは一生懸命応援したが本人が粗暴で手が浸かられなかった。事実はその通りで、関係者も苦労をしたのも事実だと思う。しかし、福祉の現場の人ではなく、行政の側がもっとこういう人の社会適応に対して力を割くべきではないかと思う。なんか、司法、行政全てが弱者(本人や現場)に責任を押し付けて知らない顔をしているような気がした。報道にしても犯人の粗暴性を強調する事で事件の悲惨さを強調、ドラマ化しているような気がする。
 重い腰の上がらない行政を動かすためにも、報道と言う立場であればもっと行政や司法の問題に筆を割いてもらいたいと思う。
 

鏡開き

 11日に鏡開きをした。我家の場合スーパーで買ってきた鏡餅を飾っているので鏡開きといってもパックをあけるだけ。子供の頃実家では本物の鏡餅を使っていた。開くのに一苦労した。硬くて硬くて包丁では割れず家によっては木槌を使うらしいが我家は何とか包丁と手で割り切る。ただ今にして思うとゆでるとかの技ではいけないのかなあ~と素朴に思ったりもする。
 鏡開きといえば当然おしるこでもちを食べる。さすがにお汁粉はちゃんと家で小豆から作ってもらえる。本当にこれが楽しみ。ココのところ正月は海外旅行にいっているから正月文化といえばこの鏡開きだけが残る家になってしまった。
 そうは言うものの世間全般を見渡しても正月でもスーパーやコンビニがいつものように営業していてお正月と言う理由で買いだめや作り置きをする必要がなくなった今となってはお正月文化もなにも有ったものじゃないだろうなあ。因みにアメリカ、カナダ、フィンランド全てスーパーは元日も普通に営業していた。閉店時間が若干早いような話を聞くが。個人経営の店は休むようだけど。この辺も正月を楽しむというか神聖なものと位置づけた日本文化の崩壊なのかな。そういう自分も正月から遊び歩いている戦犯だけど。

あてはずれ

 今日は妻とカメラを持って撮影に出かけた。二人とも何を撮ろうか考えていなくてとりあえず出発。来た電車が北新地方向、「じゃあ東に向かうか?」とばかり電車に乗り琵琶湖に行く事にした。北新地で下車して大阪駅まで徒歩で移動。新快速電車に揺られて1時間半。米原過ぎて琵琶湖北端を過ぎて余呉湖まで行った。
 京都を過ぎた頃から車窓の重くなる雲を見ながら「そっちが雨男だの」「雨女」だのとなじりながらの旅になってしまった。余呉湖についた頃は曇りやや雨混じり。例年だとこの辺りは雪景色のはずなのに・・・・・。世界的な暖冬か?正直言って当てが外れた。ただの曇り空ではだたの田舎景色。がっかりして回れ右。長浜で下車して琵琶湖へ。天気よければ素晴らしい夕日を見ることが出来るが、本日は何も無く平和な湖が広がっていた。
 結局、時間と金を掛けた撮影会は失敗に・・・・・。大阪は晴れていたのに・・・・こんなだったら西に行けばよかった。先ほどもニュースで海の温度が上がり沖縄辺りで見かける魚が山口県の日本海側で発見されたとか、スイスアルプスも暖冬で雪が無いとか言っていたが琵琶湖の北も雪が無かった。
 数年前までスキーをしていた頃は気温や雪の降雪量とか、今年は暖冬だとか寒いとか敏感だったがここ数年都会に引っ込んだ遊びしかしていなかったから本当に季節感に疎くなっていた。しかしいくら暖冬でも1月に入ると暖冬といわれた事を取り返すぐらい物凄く寒くなり大雪も降るから、「今頃の琵琶湖の北のほうは大雪だ!」と思い込んでいた。もっと情報を整理して動かないと・・・・とすっかり反省。結果はただの曇りに電車に乗って時間をつぶしただけになってしまった。残念・・・・