出張か?観光か?鹿児島へ
今週の水、木は鹿児島に出張した。初めての鹿児島行き。わくわくしながらカメラと三脚を持って出動した。
観光をするために午後からの仕事だというのに朝一番の飛行機で出発。まず市街観光に繰り出さしたが地図を持たずに行ったため狙いが定まらず漂流・・・・
歩いているうちに桜島行きフェリーの桟橋についた。案内を見ると150円15分10分おきで桜島に行ける。そのまま乗船桜島へ。
桜島では足が無いから桟橋付近のビジターセンターと溶岩公園で撮影展開。ガスがかかっていたから桜島あまりハッキリしなかったが青い空と桜島の迫力は十分感じられた。1時間ほどして市街に帰り天文館(繁華街)で鹿児島ラーメン。噂どおり見た目よりあっさりしていて美味しかった。付け合せの大根の漬物も美味しかった。
食事後仕事は無事終わり夜は夜で市内の撮影に出たが結局は地図を持たない悲劇。市電を反対方向に乗ってしまったりして時間だけがむなしく過ぎ市役所前の撮影をしただけになってしまった。
つぎの木曜日は朝一番で仕事を終わらせて10時には自由の身に。指宿方面に繰り出す事にした。結局は知覧の「特攻平和会館」に行った。ココはいわずと知れた太平洋戦争末期の日本が展開した飛行機による自爆攻撃をした陸軍航空隊の最前線の基地があったところで、今ではそこに平和記念館がある。鹿児島市街からバスで1時間半。山の中に知覧という街の中心街があった。もっと鹿児島市の延長上に存在する町かと思ったが海から山を上がった中にひっそりとした感じで街があった。
中に入ると先ず目に付くのは遺影の写真。一人一人の写真が並んでいる。組織的に攻撃をしたから全員の氏名が判明している。ただしその最後を知る人は数少ない。遺影と遺書、遺品が展示されている。遺書の中には厳しい検閲をくぐった本音をもらしたもの等がありこれが隊員の本音なんだろうなあと思うものがあった。自分がその立場になった時、誰宛にどういう遺書を書くのか考えさせられた。おそらく「米英撃滅」とか「元気に行ってきますとか」といったものを親にでも当てるのだろうなあと思った。隊員の殆どが20代前半の独身と言う目で見てのことだが・・・。おそらく本当の気持ちを書くことはできないと思った。それと隊員は出撃前日休暇をもらっている。そこで逃げ出した人が居ないという事実が凄いと思った。もちろん逃げたりしたら本人はもとより親兄弟に物凄い制裁が加えられるのは必至の事。戦争一本になった世間の怖さを垣間見たような気がした。
建物の屋外に三角兵舎と呼ばれる隊員が寝泊りした兵舎が復元されていたが馬小屋みたいなところ。後数日で死ぬのにこんな窓も無い馬小屋見たいたなところで生活するのはあまりにもかわいそうだと思った。展示してあった飛行服や手袋、帽子、どれをとっても貧弱でいまユニクロ辺りで売っている服のほうがよっぽと暖かいだろうと思った。今の時代の日本を贅沢に生きている事のありがたさを心から感じた。かなり遠いところだが是非多くの人に訪れて貰いたいところだと思った。