Archive for 2006年10月

フランダースの犬とインターネット

 昨日今日と家でテレビ見放題。昨日はDVD、今日はケーブルテレビ。こういう休みを過ごすと休みが終わる今時分物凄く損をした気になる。それはそれとして、今日ケーブルテレビで「フランダースの犬」を一挙放送していた。私が小学校低学年の頃に見たアニメが未だに名作として放送されている。まあいいものは良いと言うのを良く現した物なのだろう。物語のクライマックスはおじいさんが亡くなり、絵画コンテスト優勝を目指して頑張るものの落選してしまい落胆するネロ。そこに追い討ちをかける大人。いまでも問題になっている大人から子供へのイジメ。本当は孤独でないネロだけど落選の落胆とイジメで周りが見えなくなってしまい半ば自殺のような格好で他界するネロ。最後の最後に憧れの絵の前で昇天。いつ見ても泣けてくる。そして今回も感動ひとしお・・・・。で、妻に
「昔のオランダは貧しかったんだねえ・・・・」
「オランダ・・・?ベルギーやで・・・・」
私は慌ててインタネットで検索。

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
フランダースの犬(ふらんだーすのいぬ、原題:A Dog of Flanders)は、イギリスのウィーダ(Ouida)の書いた童話。物語の舞台はベルギー北部のフランダース(フランドル)地方。現在では、ホーボーケンが主人公たちが生活した村のモデルと考えられている。ウィーダがこの作品を執筆した頃には、ホーボーケンにはまだ風車が残っていて、アロアのモデルと覚しき女の子がいたことも確認されている。
1872年の作品。孤児ネロと愛犬パトラッシュの物語。日本語版は1954年に新潮文庫より発売。TVアニメになって、日本では絶大な人気を得ている。

舞台はベルギーだった。ずーっとオランダだとばかり思っていた。フランダース地方があってそこの犬でフランダースだった。因みに1872年は明治5年。樋口一葉、島崎藤村生誕。新橋-横浜間を鉄道が開業した年。もっと昔の話かと思っていたけど結構近代だった。原作者はイギリス人。そしてベルギーでは無名の物語で日本人観光客の問い合わせでフランダースの犬が観光化され市庁舎前に銅像が出来たとか書いてあった。しかもアメリカ版がありストーリーはハッピーエンド。何も知らずに泣いていたが30年以上間違えた知識でいた事がそれ以上に自分に対して驚き!インターネットの手軽な情報収集力って凄いと思った。

 恥かきついでにいうとベルギーの位置間違えて覚えていました。オランダ、フランス間に存在しているのが正解だけどオランダがもう少し南に張り出していてその張り出した部分とドイツの間に有るものとばかり思っていた・・・・・・

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スパイ大作戦

 最近会社のパソコンの動きが物凄く悪かった。ブツブツこぼしていたら同僚から
「スパイが入り込んでいるのでは?」
「スパイ?」
「スパイウエアですよ。」と言いながら通信状況を見ると
「ほら。何も通信していないのに派手に通信していますよ!」
「・・・・・・」
確かにメールをしているわけでもないのになにやら送受信を頻繁に繰り返している。
そういうとスパイウエアーを駆除するソフトをダウンロード。相当のウイルスならぬスパイが潜伏。なんとか駆除。
気のせいかPCの動きがよくなった。
そして自宅でもスパイ狩りソフトをダウンロード。会社のPCより悲惨なことになっていた。
しかし無事スパイを全て逮捕、処刑。システムの安全を確保した。
インターネットを使えばやむを得ない話だとのことだがウイルスの次はスパイ。知らないところで魔の手が伸びてくる怖さを感じた日だった。

記念日

 世の中、個人含め毎日のようにいろいろな記念日が有る。因みに10月23日にあった過去の事件は以下のようなもの。
できごと
1868年(明治元年9月8日) – 元号が慶応から明治に改元。
1956年 – ハンガリー動乱。ハンガリーの首都ブタペストでソ連軍の撤退などを求める20万人のデモ隊が治安警察と衝突。
1964年 – 東京オリンピック女子バレーボールで日本がソ連を下し金メダルを獲得。
1973年 – 江崎玲於奈にノーベル物理学賞が贈られることが決定する。
1983年 – 国鉄白糠線(白糠-北進 33.1km)廃止。国鉄改革に伴う特定地方交通線転換の第1号
1989年 – ハンガリーの共産党独裁政権が倒れる。
2002年 – ロシア連邦の首都モスクワで、チェチェン独立派のテロリストが劇場を占拠(モスクワ劇場占拠事件)
2004年 – 新潟県中越地震発生。上越新幹線とき325号が脱線
2005年- 参議院補欠選挙(神奈川選挙区)が行われる。
2005年- 武豊騎乗のディープインパクトが史上2頭目となる無敗でのクラシックレース三冠を菊花賞で達成
 
記念日・年中行事
霜降(日本、2002年・2004年・2005年)
二十四節気の1つ。太陽の黄経が210度の時で、露が冷気によって霜となって降り始めるころ。
電信電話記念日
明治2年9月19日(1869年10月23日)に東京 – 横浜間で日本最初の公衆電信線の架線工事が始まったことに由来。
1950年に電気通信省(後の日本電信電話公社、現NTT)が制定。
 
で、我家の場合ココに結婚記念日が加わる。2001年にバンクーバで結婚式を挙げたわけだがあれから5年いわば区切りの年。いろいろ有った。これが10年になり15年になり20年となるのだろう。私にとっては大きな意味をもつ10月23日。自分の結婚記念日をこういう風に振り返ったのは初めて。別にこういうことがあったからこの日に決めたという結婚記念日ではないが歴史的にも大きな動きがあった事を知った。まあ中越地震が悲劇的事件でそれ以外の明治始まりや東洋の魔女金獲得、ハンガリーなど将来を感じる前向きな日であったのは偶然だけどよかった!

季節を求めて

 今日は妻と高野山に行った。関西に来て10年。高野山に行くのは初めて。妻は小学校かなにかで林間学校で高野山に行った事があるとか言っていた。
 昨日季節を感じるようになったぐらいのことをブログに書いてしまった行きがかりもあり紅葉を求めたくなり今朝インターネットであれこれ検索したら高野山は既に紅葉が始まっている様な記事が書いてあった。わたしは高野山に行った事が無かったのでせっかくの機会だと思い妻と連れ立って高野山に向かった。
 高野山に対して私の知識は皆無。弘法大師が真言宗を開いた山。この知識しかない。電車で気軽に行けるところと思っていた。確かに電車で行く事が出来るし直行便もあるが事前に調べておかないとたどり着くのが大変。私らも電車を2度乗り換えた。高野山最後はケーブルカーで山を上がりバスで奥の院と呼ばれるところに行くのだが、南海電車の高野下~極楽橋までの区間は山の中を縫うように電車は走っていく。坂を上がっているのを意識できるくらいゆっくりと車輪とレールの擦れる音を立てながら進んで行く。私はこんな山の中まで電車が走って行くとは思っていなかったからびっくり。そしてバスで高野山駅から奥の院に向かう道すがらをみてまた驚いた。私は山に大きなお寺がデーンとそびえていると勝手に思い込んでいたものだからこんな寺町が形成されているとは思わなかった。4千人もの人が住んでいるとの事だった。こんな山奥にこんなに大きな宗教都市があるのにびっくりした。弘法大師さんも凄いところに街を築いたものだと感心した。言ったら日本のマチュピチュ?インカ帝国って感じこっちも世界遺産だから大した物。そして奥の院にあるお墓をみてまた驚いた。豊臣秀吉、徳川家など日本の歴史上名前の出る人々や日本を代表する企業の慰霊塔が並んでいた。
 初めて行った高野山紅葉を見に行ったのだけど何か違う方で関心をしてしまった。今度は宿坊にでも泊まってゆくりしてみたいと思った。

人として

 先週1週間は比較的平穏だった。そして気がついてみると外の空気はかなり冷たくなっている。心地のいい風が吹いている。このまえやっと暑さを抜けたと思ったがいよいよ秋本番に向かうのを肌で感じるようになった。
 秋と言えば紅葉のシーズン。今年も紅葉を求め京都方面に進出予定。せっかくだから今まで行った事の無いところに行ってみたいと思い情報収集開始。
写真撮影という趣味を持つようになり大きく生活が変わった。桜、梅などの花の開花や紅葉など今までろくに見向きもしなかった季節毎の自然現象に目を向けるようになった。そしてこういう風に気温で季節を感じるような人間になった。いままでだったら世間や会社の行事や仕事の変化で季節を感じていた。そう思うといわゆる人間らしさを持つようになった?って事?