Archive for 2005年5月

日本脳炎

 日本脳炎について ニュースになっている。

日本脳炎といえば 思い出があり 最後の1発を討っていない。幼い頃から痛い思いをして 最後の予防接種のときに 風邪を引いたか何かで 接種できなかったのだと思う。

 自分の学校で出来なかったから よその学校に行く事になったはずだが 行くのを忘れたか 日程をちゃんと把握しなかったか 何かで 結局行かなかった。

 もう いい加減 オッサンと 呼ばれる 年になったが 別段なんの 問題も無くここまでやって来た。

今日日のことで 本当に そんな予防接種必要なのかなあ?税金で接種が出来るが 行政と医療機関がぐるになって いるような気がする。そりゃあ 昭和20年~40年代だったら その辺で ボウフラとか 湧いて衛生上の 問題も あったろうけど いまどき 水溜りらしい水溜りもないし予防接種をしないと いけないような 環境なのだろうか?

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昨今のニュース(胎内記憶)

 先日 妻が えらく意気込んで

「すごいよ、胎内記憶ってあるんだって! 子供っていろいろ覚えているらしいよ!」

と、興奮しながら話し掛けてきた。

妻:「子供に おなかの中の記憶を 絵を描かせると みんな 似たような 絵を描くらしいよ!」

私:「人間の目は 光を吸収して 映像として 認知するんだろ?」

妻:「うん」

私:「腹の中のどこに 光があるの!」

妻:「・・・・・・」

妻:「でもさあ 大人の話し声とか 覚えているらしいよ!」

私:「そんなの いつの記憶だか わらる分けないでしょ!いろいろな 人の 話し声が 錯綜してどの時点の話か 整理がついていないんだろ。 子供独特の防衛本能で 大人の 喜ぶ答えを先回りして 答えているだけだよ。阿呆な 大人が騒いでいるんだろ。すごいって。 話としては 心理学の世界だろうねえ。」

妻:「でも テレビでやっていたよ」

私:「どこの局?」

妻:「8」

私:「昔から バライティーの フジと言っているの どうせ 報道とは 縁の無い メディアなの!NHKですら やらせを しているんだから フジなんてその 倍ほどしているだろ!単なる 物語の話!宇宙人の話と同じレベルだろ!」

妻はその後 怒ってしまいました。直ぐに人の事を否定ばかりすると 激怒。私は別に馬鹿にしたつもりは無いけど にわかには信じられなかった、 しかし こんな記事があった。

http://www.sanfujinka-debut.com/angel_aid/mam/contents/others/memory.html

へえ と思ったが 興味がないから そこまで。確かに不思議なこととは思うけど・・・・

我が家って こんな不協和音が結構多いのだよね・・・・

昨今のニュース(注意)

 一つ前のブロクに 「山の中に人食い人種がいた」と書いてあるが フィリピンの山奥にいる人みんなが人を食べているという事で無く その当時 一部の部族にそういう習慣のある 人々が 当時いた。あくまでも一部の人々で今から60年前の 話という事で理解してください。

 それと 人食い人種といっても 毎日の食卓が人肉ではなく 何かあったときに 人の肉も食べる習慣があった ということらしい。 その人の話では 人間を牛や豚のように いわゆる解体して 人肉を食べるのでなく 尻の肉を 削いでいるとの事でした。私が聞いた人食い人種は 漫画に出てくるような 生きている人間を 縛り付けて 周りで踊りながら 人を食べるような いわゆる人食い人種ではありません 誤解しないで下さい。

昨今のニュース

 昨日来 フィリピンで 旧日本軍人が発見され 帰国を希望しているというニュースがあった。戦後60年もたっていて まだ こういうことが あるのだなあと 戦争の傷跡の深さを 改めて感じた。

 かつて 横井さん 小野田さんと 発見され 一大事件として扱われ 横井さんに至っては 「はずかしいけれども帰って着ました!」と いう第一声をみんなで 小ばかにしたように取り扱い当時の流行言葉になっていたように思う。その後横井さんは選挙に出て「グアム党」より出馬(横井さんはグアム島で発見された)と はっきりいて 超馬鹿にしていた。そんな事も在ったからか 小野田さんは 帰国後 ブラジルだかに 移住している。こういう人達の社会復帰の難しさを 示している現象だと思う。

 かつて私が大変お世話になった方で 戦争中フィリピンで 従軍し 山の中に逃げ込み大変な思いをされた方の話を聞いた事がある。

 その方は 元々は民間企業の技術者だったのだが内地にいるときに将校として招集されたが 技術者という事で数年後に 会社に戻されフィリピンのマニラに転勤になり 赴任し しばらくしたら 米軍の攻撃が始まり 急遽軍人さんに逆もどり。その後本人は 軍刀以外の武器を持つ事も無く 飛行場を部下と共に守っていたが 守りきれなくなったから 最後の突撃をしようとしたら 司令部が 山に逃げるから いっしょに来い(護衛しろという事と思うが)と命令されて 山に入ったらしい。

 逃げ込んで かなりの 山奥に 入ったらしい。 司令部といっても 人がいるだけで 無線機とかなかったらしく 戦争の終わったのも 知る芳も無かったと 言っていた。あるときに どうも様子がおかしい日本は降伏をしたのではないか?こんな疑問が 出たらしい。

 今のわれわれには難解であるが 当時の軍人さんは 負けると降伏するは 意味が違うらしい。負けたから降伏するということだが 当時の教育は負けたら死ね!負けて山にいるのは まだ戦う意志ありだが 自らが降伏するのは 逃亡という事になるらしい。そんなことで えらい人が 部下数人を連れて1ヶ月近く掛けて 様子を見に行ったらしい。そしたら 日本国自体が降伏をして みんな国に帰っている事が判明し 退却命令。山を下る事になった。

 この人は結構な集団で行動していたため 現地人に襲撃をされる事は無かったらしいが 結構日本兵を襲う現地人はいたらしく 仰向けに死んでいる人は 大概尻の肉が殺ぎ落とされている。つまり 現地人というのは人食い人種で そういう肉を食べていたらしい。聞いた話だと 歩いている時に 死ぬから 普通であればうつ伏せで死ぬらしいが わざわざ仰向けになっているのは 寝ているときに絶命したか 削られてひっくり返しにされたか らしい。そんなこんなで 草を食べながら 何とか マニラにたどり着き 帰国。

 このとき 鰻をご馳走になっていたのだが 思い出したように

「ホント草ばっか食ったなあ~。蛇でも食えると本当に ご馳走だったよ!」

人が 鰻を口に入れた瞬間に言うなよ!って思ったが・・・

今から10年ほど前に聞いた話。その人に 

「ちょうど ○○さん(私の名前)と 同じ年の頃だったんだねえ~。」

と しみじみ言っていたのを聞いたのはつい昨日のよう。この話を聞いてしばらくしてから 私は 大阪赴任 その方とは その後 1,2回あったかなあ。今でも元気らしいけど。この人偉い人で 比較的噂が伝わって来る。

 いろいろな話を聞いていると 日本に帰らず現地にとどまった日本人は結構な数いるらしい。横井さん見たいに 末端の兵隊さんで 怖くて帰れなかった人や 小野田さんみたいに 命令で留まった人。現地で山にこもった人や 軍事顧問になった人 様々らしい。

 靖国問題で中国とギクシャクしているけど参拝という 事以外にも政府がしなければならないことってまだまだ残っていると思う 昨今のニュースだった。

平成の二宮金次郎

 今朝通勤の時 スポーツ刈で ビジネスカバンのリュックサックを背負い 日経新聞を読みながら歩いている サラリーマン風体の 人を 見た。

 なんか 風変わりな 人だなあ と 思いながら 眺めていた。

しかし 何処かで見たことのある なじみの 姿だと 思えば 「二宮 金次郎」だった。

 あの「二宮 金次郎」が 時代を 超えて 帰ってきたわけだ。二宮 金次郎を知らない人も数多いと 思う。 時代は明治時代とは思うが 神奈川県二宮町に住む 金次郎という 貧しい家の少年がいた。 家事の 薪運びをしているときも 本を読んで勉強を するという 勤勉な少年で あった。らしい・・

 勤勉な少年の 育成に 力を入れていた 戦前の 文部省が 薪を運びながら 本を読んでいる 姿を銅像にして 全国の小学校の校庭に 設置していた。

 古い小学校には 撤去されずに残っている場合もあったようだが・・・・

そして その 金次郎が 本日復活!

薪をパソコンに 本を日経新聞 けして高いとは思えないスーツを着て 昔の日本兵のような顔をした 「二宮 金次郎」が 歩いていた。

 まあ 時間が無いほど 忙しい人なんだろうけど 歩きながら新聞読んで 内容が頭に入るのか疑問。

 平成の「金次郎」をみて 風変わりな人だと 思ったのが 正直なところ。「二宮金次郎」が少年だった頃は電気が今ほど発達していなかったから 仕事の終わった夜に勉強が出来なかったから 止むを得ず光のある昼間に 本を読んでいたと 言うのが本当のところだろう。時代が変ると 勤勉に見えたものも 変わり者に見える。昔の人に比べたら 現代の我々の方が 時間を 沢山使う事が出来るのでは無いかと 思った。