昨日来 フィリピンで 旧日本軍人が発見され 帰国を希望しているというニュースがあった。戦後60年もたっていて まだ こういうことが あるのだなあと 戦争の傷跡の深さを 改めて感じた。
かつて 横井さん 小野田さんと 発見され 一大事件として扱われ 横井さんに至っては 「はずかしいけれども帰って着ました!」と いう第一声をみんなで 小ばかにしたように取り扱い当時の流行言葉になっていたように思う。その後横井さんは選挙に出て「グアム党」より出馬(横井さんはグアム島で発見された)と はっきりいて 超馬鹿にしていた。そんな事も在ったからか 小野田さんは 帰国後 ブラジルだかに 移住している。こういう人達の社会復帰の難しさを 示している現象だと思う。
かつて私が大変お世話になった方で 戦争中フィリピンで 従軍し 山の中に逃げ込み大変な思いをされた方の話を聞いた事がある。
その方は 元々は民間企業の技術者だったのだが内地にいるときに将校として招集されたが 技術者という事で数年後に 会社に戻されフィリピンのマニラに転勤になり 赴任し しばらくしたら 米軍の攻撃が始まり 急遽軍人さんに逆もどり。その後本人は 軍刀以外の武器を持つ事も無く 飛行場を部下と共に守っていたが 守りきれなくなったから 最後の突撃をしようとしたら 司令部が 山に逃げるから いっしょに来い(護衛しろという事と思うが)と命令されて 山に入ったらしい。
逃げ込んで かなりの 山奥に 入ったらしい。 司令部といっても 人がいるだけで 無線機とかなかったらしく 戦争の終わったのも 知る芳も無かったと 言っていた。あるときに どうも様子がおかしい日本は降伏をしたのではないか?こんな疑問が 出たらしい。
今のわれわれには難解であるが 当時の軍人さんは 負けると降伏するは 意味が違うらしい。負けたから降伏するということだが 当時の教育は負けたら死ね!負けて山にいるのは まだ戦う意志ありだが 自らが降伏するのは 逃亡という事になるらしい。そんなことで えらい人が 部下数人を連れて1ヶ月近く掛けて 様子を見に行ったらしい。そしたら 日本国自体が降伏をして みんな国に帰っている事が判明し 退却命令。山を下る事になった。
この人は結構な集団で行動していたため 現地人に襲撃をされる事は無かったらしいが 結構日本兵を襲う現地人はいたらしく 仰向けに死んでいる人は 大概尻の肉が殺ぎ落とされている。つまり 現地人というのは人食い人種で そういう肉を食べていたらしい。聞いた話だと 歩いている時に 死ぬから 普通であればうつ伏せで死ぬらしいが わざわざ仰向けになっているのは 寝ているときに絶命したか 削られてひっくり返しにされたか らしい。そんなこんなで 草を食べながら 何とか マニラにたどり着き 帰国。
このとき 鰻をご馳走になっていたのだが 思い出したように
「ホント草ばっか食ったなあ~。蛇でも食えると本当に ご馳走だったよ!」
人が 鰻を口に入れた瞬間に言うなよ!って思ったが・・・
今から10年ほど前に聞いた話。その人に
「ちょうど ○○さん(私の名前)と 同じ年の頃だったんだねえ~。」
と しみじみ言っていたのを聞いたのはつい昨日のよう。この話を聞いてしばらくしてから 私は 大阪赴任 その方とは その後 1,2回あったかなあ。今でも元気らしいけど。この人偉い人で 比較的噂が伝わって来る。
いろいろな話を聞いていると 日本に帰らず現地にとどまった日本人は結構な数いるらしい。横井さん見たいに 末端の兵隊さんで 怖くて帰れなかった人や 小野田さんみたいに 命令で留まった人。現地で山にこもった人や 軍事顧問になった人 様々らしい。
靖国問題で中国とギクシャクしているけど参拝という 事以外にも政府がしなければならないことってまだまだ残っていると思う 昨今のニュースだった。